夜十時。
帰宅した沙織は、バッグを床に置き、ソファに座り込んだ。
三十二歳。
広告会社で働き始めて九年になる。
仕事は嫌いではなかった。
企画を考え、お客様と打ち合わせを重ね、一つの広告が完成する。
その瞬間には、今でも喜びを感じる。
けれど、最近は疲れが抜けなかった。
仕事の量が増え、帰宅する時間も遅くなっていた。
休日も、翌週の仕事が頭から離れない。
「このままでいいのかな。」
そんな言葉が、何度も浮かぶようになった。
スマートフォンで転職サイトを開く。
仕事内容、勤務地、給与、勤務時間。
いくつもの求人を眺めては、画面を閉じる。
今の会社には、信頼できる仲間がいる。
自分を育ててくれた上司もいる。
仕事を任せてもらえるようにもなった。
それなのに辞めたいと思う自分は、わがままなのだろうか。
翌日、昼休みに先輩へ相談してみた。
「最近、転職を考えることがあるんです。」
先輩は驚くことなく、話を聞いてくれた。
そして、こう言った。
「転職したい理由と、今の働き方を変えたい理由は、同じとは限らないよ。」
沙織は、その言葉を何度も考えた。
会社を変えたいのか。
仕事内容を変えたいのか。
それとも、働く時間や生活のリズムを見直したいのか。
その夜、久しぶりにノートを開いた。
左のページに、今の仕事で好きなこと。
右のページに、変えたいこと。
一つずつ書き出してみる。
書き終えても、答えは出なかった。
でも、少しだけ気持ちが整理された。
転職することが正解とは限らない。
今の会社に残ることが正解とも限らない。
大切なのは、自分が何に苦しみ、これから何を大切にしたいのかを知ること。
沙織は転職サイトを閉じた。
今夜、結論を出す必要はない。
まずは、自分の働き方を見つめ直すところから始めよう。
そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた。
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