「先生、どうして音楽の先生にならなかったんですか?」
放課後、学童保育の教室で、小学三年生の男の子にそう聞かれた。
優奈は二十七歳。
大学では音楽を学び、卒業後は演奏家を目指していた。
小さな演奏会に出演し、オーディションにも挑戦した。
けれど、思うような結果は出なかった。
生活のためにアルバイトを増やし、練習する時間は少しずつ減っていった。
二年前、優奈は学童保育の仕事に就いた。
子どもたちと過ごす毎日は慌ただしい。
宿題を見たり、けんかの仲裁をしたり、保護者への連絡をしたり。
ピアノに触れない日も増えた。
「もう音楽はやめたの?」
久しぶりに会った友人に聞かれたとき、優奈は曖昧に笑った。
自分でも、どう答えればよいのか分からなかった。
ある日の午後。
教室の隅に置かれた電子ピアノを、子どもたちが囲んでいた。
「先生、何か弾いて!」
久しぶりに鍵盤に指を置く。
最初は少しぎこちなかった。
それでも、懐かしい旋律が流れ始めると、子どもたちが静かに耳を傾けた。
曲が終わると、一人の女の子が言った。
「私も、こんなふうに弾けるようになりたい!」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
演奏家になるという夢は、まだ実現していない。
これから実現するかどうかも分からない。
でも、音楽を好きな気持ちは、何も変わっていなかった。
帰宅した優奈は、久しぶりに楽譜を開いた。
以前のように何時間も練習することは難しい。
それでも、週末だけはピアノに向かってみようと思った。
夢を叶えることと、夢を大切にし続けること。
それは、少し違うのかもしれない。
優奈は静かに鍵盤に触れた。
諦めたわけじゃない。
ただ、夢との付き合い方が変わっただけなのだ。
#夢と現実
#働く理由
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