「お父さんになったんだね。」
病室で、生まれたばかりの娘を抱いたとき、妻がそう言って笑った。
翔平は三十二歳。
住宅設備メーカーの営業職として働いている。
これまでは、仕事で成果を出すことが何より大切だった。
営業成績を上げたい。
昇進したい。
もっと収入を増やしたい。
そのためなら、多少の残業も休日出勤も仕方がないと思っていた。
けれど、娘が生まれてから、少しずつ気持ちが変わり始めた。
仕事を終えて帰宅すると、小さな寝息を立てる娘がいる。
妻は慣れない育児に追われ、疲れた表情を見せることもあった。
「今日も遅くなって、ごめん。」
そう言うと、妻は笑顔で答えた。
「大丈夫。でも、少しだけ一緒にいてくれるとうれしいな。」
その言葉が、胸に残った。
ある日、上司から新しい大型案件の担当を打診された。
以前なら迷わず引き受けていただろう。
しかし今回は、すぐに返事ができなかった。
仕事で認められたい気持ちは変わらない。
でも、娘の成長も見守りたい。
妻と一緒に子育てをしたい。
どちらも、自分にとって大切なことだった。
翌日、翔平は上司に相談した。
「挑戦したいです。ただ、家庭との時間も大切にしたいので、仕事の進め方を相談させてください。」
上司は少し考えてから言った。
「分かった。チームで進められる方法を考えよう。」
もちろん、すべてが思いどおりになるわけではない。
忙しい日は続くだろう。
それでも、自分の希望を伝えたことで、少し前に進めた気がした。
その夜、娘を抱きながら、翔平はふと思った。
以前は、自分の成功のために働いていた。
今は、守りたい家族がいる。
でも、それだけではない。
家族と過ごす時間を大切にしながら、自分自身も成長していきたい。
働く理由は、一つではなくなった。
娘の小さな手が、翔平の指をぎゅっと握った。
その温かさを感じながら、これからの働き方を少しずつ考えていこうと思った。
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